共生の未来デザイン

水田再生と地域ブランド:コウノトリと共に歩む持続可能な農業実践と観光振興

Tags: 地域活性化, 生物多様性保全, 持続可能な農業, 観光振興, コウノトリ

事例の背景:絶滅からの再生と地域の課題

かつて日本の各地に生息していたコウノトリは、農薬の使用や生息環境の悪化により、1971年に国内の野生個体が姿を消しました。兵庫県豊岡市は、コウノトリの最後の生息地の一つであり、この地の農業は高度経済成長期に集約化が進み、水田の生態系は大きく変化していました。地域では、過疎化や高齢化による担い手不足、農産物の価格競争といった課題に直面しており、新たな地域活性化の方向性が模索されていました。このような状況の中、豊岡市はコウノトリの野生復帰を地域のシンボルと位置づけ、単なる種の保存に留まらない、地域全体の持続可能な発展を目指す取り組みを始動させました。

具体的な取り組み内容:共生を育む「コウノトリ育む農法」

豊岡市が中心となって推進したコウノトリ野生復帰事業は、絶滅種の復活を目指すだけでなく、コウノトリが再び安心して暮らせる環境を創出することに主眼を置きました。その核となったのが、「コウノトリ育む農法」です。これは、化学農薬や化学肥料の使用を原則として控え、冬季湛水(たんすい)や「魚道」の設置、不耕起栽培などにより、水田にメダカやドジョウ、カエルといった多様な生き物が生息できる環境を創り出す農法です。これらの生き物はコウノトリの餌となり、コウノトリが暮らせる水田は、結果として人間にとっても安全でおいしいお米を育む場となります。

この取り組みには、豊岡市をはじめとする行政機関、農家、JA、地域住民、NPO法人、研究機関、そして流通・販売に関わる企業など、多様な主体が関わりました。行政は復帰事業全体の計画立案と調整、環境整備への支援を行い、農家は「コウノトリ育む農法」の実践を担いました。NPOや研究機関は生態系調査や技術指導、環境教育を実施し、住民は水田の生き物調査や環境保全活動に積極的に参加しました。企業は、この農法で栽培された米のブランド化と販売促進を支援し、地域経済を後押しする重要な役割を担っています。

実践的なノウハウ:持続可能な地域運営への視点

「コウノトリ育む農法」の導入には、農薬・肥料の削減による収量減少リスクや、水管理の手間増加といった農家への負担が伴います。この課題に対し、豊岡市は農法転換への補助金制度を設け、農家の経済的リスクを軽減しました。また、栽培技術に関する研修会を定期的に開催し、NPOや研究機関の専門家による技術指導体制を確立することで、農家が安心して新しい農法に取り組めるよう支援しました。

予算規模の目安: このような大規模な環境保全型農業と地域ブランド化の取り組みは、初期投資としてコウノトリの飼育施設建設や生息環境整備に数億円規模の予算が必要となる場合があります。しかし、農家への補助金や研修費用、広報費などは年間数百万円から数千万円規模で継続的に発生します。これらの費用は、国や県の補助金、市の一般財源、企業からの協賛金、ふるさと納税などを組み合わせることで賄われています。

法的な側面: コウノトリは国の特別天然記念物であり、鳥獣保護管理法の対象となります。生息地の開発には環境影響評価が厳格に適用され、農薬の使用については農薬取締法に加え、コウノトリへの影響を考慮した独自の基準が設けられています。自治体としては、これらの法規制を遵守しつつ、地域住民や関係機関との合意形成を図ることが重要です。

成功要因と課題・失敗から得られた教訓

成功要因: 1. 明確なビジョンとシンボル: 「コウノトリが舞う里」という明確なビジョンと、コウノトリという強力なシンボルが、多様な主体を一つにまとめる求心力となりました。 2. 科学的根拠に基づく施策: 研究機関との連携により、生態学的な知見に基づいた農法や生息環境整備が行われ、持続可能性が高まりました。 3. 多様な主体の連携と合意形成: 行政、農家、住民、NPO、企業がそれぞれの役割を理解し、協働する体制が構築されました。特に、農家への丁寧な説明と経済的支援が合意形成を促進しました。 4. ブランド戦略の成功: 「コウノトリ育むお米」というブランドを確立し、環境保全への貢献を付加価値として訴求することで、市場での差別化に成功しました。

課題・失敗から得られた教訓: 初期段階では、農法転換に伴う収益性の懸念から、農家の参加が伸び悩む時期もありました。また、ブランド米の販路確保や消費者への認知度向上にも試行錯誤がありました。これらの経験から得られた教訓は、以下の通りです。 * 丁寧な対話と理解の促進: 新しい取り組みを導入する際には、関係者一人ひとりに対し、その意義とメリットを丁寧に説明し、疑問や不安を解消することが不可欠です。 * 短期的な成果と長期的な目標のバランス: 初期には補助金などで農家の負担を軽減しつつ、長期的な視点で環境価値を経済的価値に転換する戦略が求められます。 * 継続的な情報発信: 取り組みの状況や効果を定期的に発信し、消費者の共感と支持を得ることがブランドを維持・発展させる上で重要です。

得られた効果と評価:環境と経済の好循環

豊岡市のコウノトリ野生復帰事業は、野生生物保護と経済活動の双方に具体的な効果をもたらしました。

野生生物保護の観点: * コウノトリの個体数回復: 放鳥されたコウノトリは繁殖を繰り返し、現在では国内外に200羽を超えるコウノトリが確認されています。 * 水田生態系の多様性向上: 「コウノトリ育む農法」の実践により、水田や周辺の湿地環境が改善され、多様な水生生物や昆虫、野鳥の生息が確認されています。例えば、かつては減少傾向にあったメダカやドジョウ、カエルの生息数が増加傾向にあります。

経済活動の観点: * 農産物の高付加価値化と売上向上: 「コウノトリ育むお米」は、環境保全型農業のシンボルとしてブランド化され、一般の米よりも高値で取引されています。その結果、農家の収益向上に貢献し、地域経済に新たな価値を生み出しました。 * 観光振興と地域活性化: コウノトリの生息地を訪れる観光客が増加し、特に教育旅行の目的地としても選ばれるようになりました。コウノトリをテーマにした物販や体験プログラムも生まれ、地域全体の活性化に寄与しています。 * 新たな雇用の創出: コウノトリの飼育管理、生態調査、農法指導、観光ガイドなど、関連する新たな雇用が創出されました。 * 地域住民の誇りの醸成: コウノトリとの共生は、地域住民に環境保全への意識を高めるとともに、故郷への誇りをもたらしました。

応用可能性と今後の展望:他地域へのヒント

豊岡市の事例は、絶滅危惧種の保護を核とした地域振興策として、他の地域にも多くの示唆を与えます。例えば、トキの保護と米作りを組み合わせた佐渡島の事例や、ライチョウをシンボルとした山岳観光地の保全活動など、地域固有の野生生物を「共生」のシンボルとすることで、地域の自然資源の価値を高め、持続可能な地域づくりに繋げることが可能です。

類似の課題を抱える自治体や企業がこの事例から学ぶべき点は以下の通りです。 * 地域資源の再評価: その地域固有の自然や生物を見つめ直し、新たな価値を見出す視点が重要です。 * 多角的な連携体制の構築: 行政がリーダーシップをとりつつ、農家、企業、NPO、住民、研究機関といった多様な主体の協働を促す仕組みづくりが不可欠です。 * 環境と経済のバランス: 環境保全に投資する費用を、どのように地域経済の活性化やブランド価値向上に結びつけるかの戦略を練ることが成功の鍵となります。

今後は、コウノトリの生息域が拡大する中で、より広範囲での環境保全活動や、農法認証制度の国際的な展開、カーボンニュートラルな農業への挑戦など、さらなる発展が期待されています。地域に根ざした取り組みが、地球規模の環境問題解決にも貢献する可能性を秘めていると言えるでしょう。